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日々の萌えと燃えを吐き出す文字どおり世迷言ブログ
 

 

 
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190年代の情報錯綜ぶりに知恵熱が出そうです。
知りたい部分でいうと正確には192~197の5年間。専横政権崩壊から帝東行あたりですが、先生の動きが分からな過ぎてうわぁってなります。
ことに官を辞して騎将さんの所に行くあたりが期間的には物凄くタイトなのに全然判然としない。
個人的な見解はあれども裏付けが全くない。ロマンだけで語って良いですか!?ってなる。妄想は更にもっと斜め上ですが。

そういえば某公式の名鑑、元発売日迄しか枠がない模様。ということは、女性枠抜いたらあと10くらいしか無いことに…orz
すーさんの流れであるかもしれないけど、まだ登場していない面子を考えると望み薄いですね。まぁ、何故この人がっていうのもあるので結局は毎回チェックしてしまうんですが。
 

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さて、以下は個人的メモ。
族父の死が196年。先生が都を出るのが195年。中継にもう一人仕えているので直ぐに走った訳じゃないのですが、少なくとも宛城事件(197年正月)のときは騎将さんの元にいる。
中継の方は妻子の安全を確保するためだと思ってるので端から長居する意志はなかったのだろうなと。
というか、危険を承知で騎将さんの所に行ったのかと思うともう…!
まぁ、勝算なしで挑む先生ではないのだろうけど。一回目の降伏から反旗を翻す流れは、奸雄のお痛のせいなのかどうなのか。あれがなかったらあっさりあの時点でまるく収まってて、騎将さんは或いは長生き出来たのかとか思ったりするけれども、一方であそこで終わっていたら先生がその後、新しい仕官先で活躍しえたのかどうかという疑問もありつつ。
まぁ、長安での手腕はある程度伝わっていたのかもしれないけど、涼州軍閥限定の名声という可能性も否定できない。
ずっと後の話ですが、三公に登り詰めた時に他国の君主に笑われたっていうのはどういう意味だったんだろうか。
寒門だからとか…?それを言ったら笑った方も人のこと言えないような気がするんですが。
個人的には、先生が名門コンプレックスだったりすると美味しいなぁとか思います。
でもいくさんとかはちゃんと認めてる。名実が伴ってないのに繋がりだけでふんぞり返っているのは苦手なんだろうな…と思います。

 

 
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